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第25回 -「余白」の大切さ-  


私の尊敬する神父さんで、井上洋治神父という方がいます。
1927年生まれ、戦後間もないころフランスに渡られ神父になった方です。同じころフランスに渡った遠藤周作さんの大親友でした。
彼が書いた1980年出版の「余白の旅」は、私の愛読書です。


 「ミケランジェロの傑作『最後の審判』が大きな壁いっぱいに描かれている雄大さと迫力は確かに見ごたえのあるものであった。
しかしそこでもやっぱり私には、息苦しそうな重苦しさに、どうしても親しみというものを感じることができなかった。

山水画や水墨画の余白の部分というのは、確かにそこに何も書かれてはいない。したがって何も描かれていないという意味は無である。何も描かれていない余白の部分が、まさに描かれている部分を、おのおのその場に生命あらしめているのであり、その場をえさしめているのである。

 生きとし生けるものは、『生きとし生けるものの余白』ともいえるものの力によって生かされ在らしめられ、それぞれの場をえさしめられているのであって、それぞれの生命と役割を力いっぱい生き抜くことによって、己れ自らをも包む全体を表出していくものなのである。
そしてこの生きとし生けるものの余白の力こそ、芭蕉や一遍はこれを『風』ということばでよんだのではなかったか。

 イエスが最も大切にした『幼子の心』とは、この余白の風に、ふわっと目をつぶってまかせ切る心に他ならない。」

 

幼稚園の入り口部分を改修するにあたって、ウッドデッキを新設しました。このウッドデッキが「余白」として子ども達を生かしめていくでしょう。

             園長 原田 豊己神父



 


 

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